事業脚本家という生き方。

フィールド・フロー代表取締役 渋谷 健のブログ。

地方創生の現場への新たな問い ~組織とひとは、より根源的な変容ができるか~

 地方創生の現場でシンプルな3つの気づきを得たことで、私自身の問題意識は変わってきました。政策的・社会的・経済的な課題は非常に多くあります。しかし、それはあくまでも表面でしかありません。地方創生を実践し、社会に価値を提供するためには、今あるひと・組織がより根源的な変容しなければならないと感じています。そして私はこの変容を実現していくことに、事業脚本家という生き方を通じて貢献していきます。

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 地方創生の現場には多くの組織・ひとが関わっています。ただ、残念なことに非常に近視眼的なアプローチをすることが多い。予算や売上、自らの地位・名誉などに固執するあまりに形骸化した取り組みが多い。私はいつも心の底から、残念で悲しい気持ちになります。そして形骸化していく地方創生の現場に触れるたびに、「地域に、社会に、世界に必要なことの大前提は、組織・ひと自体の根源的変容なのではないか」と感じています。もう少し踏み込んで表現するならば、その組織・そのひとが“この世界に存在する意味” を追及することが必要だと感じています。

 組織は本来、目的があってつくられます。存続させることが目的ではなく、組織を通じて創り出される価値が必要だから、組織が存続するのです。そしてひとも同じです。哲学的になってしまいますが、すべての人は何かしらの目的をもって生まれてきているのだと、私は考えています。だから生きているのです。目的を果たすために。しかしながら多くの組織もひとも、“この世界に存在する意味” を忘れてしまっています。だから、一生懸命ごまかそうとする。ゆえに歪みが出る。無理やり正当化しようとする。大企業病などは最たる例でしょう。あとは形骸化した天下り第3セクターも同様ですね。これは残念としか言いようがありません

 そして、“この世界に存在する意味”を追求し、根源的な変容を求めていく過程でもう一つの問いが出てきます。それは、「いま目の前にあることが、本当にこの世界に必要なことであるか?人生を賭けて、自分の命を懸けて、組織の命運をかけてやれるか?」というものです。“この世界に存在する意味”を追求していく過程では、自分自身すらごまかそうとしてしまう心理が働きます。そんなときに立ち返るべきことは、“この世界に必要なことであるか”というところがまず必要です。そして“人生を賭けて、自分の命を懸けて、組織の命運をかけてやれるか”というところを問うことが必要になります。この2点にYesと答えられないのであれば、残念ながら“この世界に存在する意味”は追求しきれていないということになるでしょう。

 ただ、こうした議論をすると必ず起きることがあります。それは、「こんなの間違いだ」「意味がない」「理解できないし、する必要もない」という拒絶反応です。なぜ起きるか。簡単に言うと、怖いからです。今まで自分が安全だと思っていたこと、これまで積み上げてきたもの、あると思っていた未来、そんなものが一気に崩れ去るかもしれないからです。だから、視野を狭め、思考を止め、感情を閉じて拒絶をするのです。ただ、そうしたところで何の解決もありません。自立した自我、つまり自分らしく生きる・行動するということには程遠く、誰かの決めた何かのルールに縛られ続けることを選択しているにすぎないのです。

 私たちは視野を広く持ち、思考し続け、感情を開き、向き合い続けることが求められているのです。たとえ、そこに苦痛を感じたとしても、その先の未来のために。そして「いま目の前にあることが、本当にこの世界に必要なことであるか?人生を賭けて、自分の命を懸けて、組織の命運をかけてやれるか?」を問い続ける“この世界に存在する意味”を追求し続けるより根源的な変容を求める。その先に、地方創生が求めている、創り出そうとしている社会価値が存在しているように感じています。もちろん、これは地方創生だけでなく、あらゆる社会課題に対して言えることですが。